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ポルトガルの統治が続いたマカオは、アジアの中にありながら、ヨーロッパの文化と古来の中国文化が融合した魅力的な土地です。人々は、のんびりと、人生を楽しんでいます。この土地の人々には、中国や香港でよく見られる過酷な生存競争は無縁です。また歴史的にも他国や権力に武力で蹂躙されたことがありません。宗主国のポルトガルそのものの影響力が低下していたことから、比較的早くから、マカオ人による自治が確立されてきました。
当時のポルトガルの交易相手は、日本・長崎。日本でも有名なザビエル教会は、マカオにもあります(日本での有名な写真とは異なり、毛髪たっぷり)。マカオは日本への中継地(倉庫とか休憩所とか補給所)、という位置づけだったようです
ちなみに「マカオ」という名前、中国語の澳門(「おーもん」「おーむん」)とは関連ありません(澳門の澳という漢字は広東省地域を示し、その港町というのが中国語のネーミングの理由らしい)。なぜ、「マカオ」という名前になったのか。もっとも有力な説は、マコミュウという港の横にある寺の名前を、ポルトガル人が土地の名前と勘違いしたというものです。なお、マカオのスペルは、MacaoもMacauも両方とも正解。ポルトガル語ではoで終わり、英語だとuで終わるということのようです。
ポルトガル人は、中国政府から土地を買ってマカオに住み続けました。強引に買ったわけではないようです。ポルトガルから賄賂をたくさんもらっていた中国の役人が、賄賂をごまかすためにポルトガルに土地を売った「ことにした」という説もあります。1887年にマカオはポルトガルの植民地となります。イギリスが香港を奪取した「どさくさ」に紛れていただいたような雰囲気もあります。
香港のように水深のある良港というわけでもないマカオには、戦略的な価値がなかったことも幸いして、太平洋戦争中も占領されることなく、その後の戦後の混乱期も中立国として機能しました。
かつては世界を支配したポルトガルの国力は、すっかり衰退してしまいました。イギリスのように植民地(香港)経営に積極的になるわけでもありません。早くも1976年にはマカオはマカオ人による自治が始まっています。返還の目前になって、慌てて民主化した香港よりも、マカオの方が長い民主主義の歴史をもっているのです。この時期、ポルトガルは植民地の放棄を決定して、中国政府へのマカオ返還を打診しています。しかし、香港の返還交渉を優先する中国政府からは「ちょっと待って」といわれます。
マカオが中国政府に返還されたのは、香港(1997年)の2年後である1999年12月20日。返還後50年間は返還時の法律の保全(公用語としてのポルトガル語を含みます)が取り決められました。