TOP >>マカオ経済驚異の成長力 >>発展するマカオ >>ベネチアンマカオリゾートを皮切りに巨大カジノ開業が続々
2007年8月28日に「Venetian Macau(ベネチアンマカオ)」が開業します。コロアン・タイパ地区で初となる大型カジノは、アジア初の完全なラスベガス型の複合商業施設でもあります。
コロアン・タイパ地区(コタイ地区)は、もともとはコロアン島とタイパ島の2つの島でした。この2つの島の間を埋め立てることで、マカオ政府は、「アジアのラスベガス」を作り上げる土地を確保しました。
なにしろ、マカオは世界最高の人口密度を誇る上に、土地の私有の歴史は数百年に及びます。西側の法律制度ですから、政府といえども、私有地や政府租借地(私有地と同様)を強制的に追い出したりすることもできません。マカオ半島や既存の島で、再開発を行える広大な用地を確保することは不可能だったのです。
もっとも欧米のカジノとはいえ、兆円規模の投資が必要なる巨大リゾートの開発は、簡単に着手できるものではありません。カジノには、それぞれの企業ごとにビジネスの流儀があり、欧米カジノの経験が、マカオでも通用するかどうかは試してみない限りわからないのです。
そこで欧米のカジノは、まず、もともと発展しているマカオ半島側に小さなカジノを作ります。小さなカジノ(とはいえ例えばSandsカジノはアジア最大の屋内面積を誇るのですが)での成功を元に、コタイ地区での大規模投資に踏みきるわけです。
ラスベガスでベネチアンカジノを運営するLVS(ラスベガス・サンズ社)が、マカオ半島にSandsカジノを開業したのは2004年。これがラスベガス・スタイルの最初のマカオのカジノです。その結果は、超のつく大成功で、600億円の投資を4か月で回収したといわれています。そして、LVSはコタイ地区での「ベネチアン」開業を、いち早く決断。2007年8月28日の開業にこぎつけたわけです。
ベネチアンマカオリゾートの特徴は、単なるカジノだけではなく、施設内だけで数日間から数週間を過ごしても飽きることのないエンターテイメントを内包していること。規模の面でも、内容の面でも、まさにラスベガスの巨大リゾートと同じです。さらに、幕張メッセよりも巨大なイベント会場を併設することで、ビジネス客も取り込むのは、イベント業者としてラスベガスでの最初の地位を築いたベネシアンの得意技。香港の世界的な宝石展示会やNBAバスケットボールをはじめとした様々なイベントのベネチアンマカオリゾートでの開催が決まっています。
これはマカオの今後の大発展を象徴する最初の出来事です。ベネチアンマカオリゾートの開業後、シティ・オブ・ドリームス(水族館とカジノの複合施設。「世界初の海底カジノ」)、シェラトン、ヒルトン、グランドハイアット、マカオ・スタジオ・シティ(映画の撮影所とカジノ・ショッピングモールの複合施設)、ハードロックホテル、ヴァージン・カジノ(英国ヴァージングループ)、MGM、Wynnといった著名なカジノ・リゾートが続々と開業します。
マカオ半島側では、Sandsより2年遅れの2006年、Wynnマカオが開業し、2007年にはMGMグランドが開業します。いずれもラスベガスの巨大カジノの成功企業ですが、マカオ半島の建物の規模はラスベガスほど大きくはありません(マカオ半島には巨大カジノが作れる土地がないのです)。Wynnはすでにマカオ半島で大成功し、コタイ地区でのラスベガス同様の巨大リゾート建設を計画しています。
今のマカオの状況は、15年前にラスベガスの市街地から離れた場所(ラスベガス大通り「ラスベガス・ストリップ」)に最初のホテル「ミラージュ」か出来たころに似ています。その後、ラスベガス大通りには続々と巨大リゾートが開業し、現在の隆盛を誇るようになったのはご存知の通り。しかも、マカオに進出しているWynnはミラージュ・ベラージオ・Wynnラスベガスをプロデュースしてきた実績を持ち、Sands(Venetian)はイベントとカジノを融合させて成功した最大手です。
ラスベガスでは15年の間に不動産価格は4倍以上に上昇しました。カジノとイベントによって経済が発展した当然の結果です。同じことがマカオでも起きるし、その速度は、ラスベガスでの経験を活用することで早いはずだろうと多くのアメリカ人投資家が確信しています。世界3位の資産家(なお1位のビルゲイツと2位のウォーレンバフェットは引退)Sandsのシェルダン会長は「ラスベガスが15年かかった発展を、我々はマカオで3年で成し遂げてみせる」と豪語しています。